計算機の歴史3
さて,計算機の歴史もその3となった.そろそろマイコンの話をしなければならないと考えているのだが,実は世界初のマイクロコンピュータが登場したのは,1971年である.
計算機の歴史2でEDVACの開発が1945年から開始されている.マイコンの登場までには,約25年間ある.その間に何が起こったのかを話しておかなければならない.
エッカートとモークリーを失ったEDVACの開発は,1951年にようやく終了する.しかし,エッカートとモークリーはプロジェクトを去った後,自分たちで会社を設立し,世界初となる商用のコンピュータUNIVACを1950年に完成させている.その他に,ハワード・エイケンのHarverd MarkI, MarkII など様々なコンピュータが世の中に登場することとなる.もちろん,米ソ冷戦の時代でもあり,2度の世界大戦があったので,今日のように各国の情報は外部に公開されない状況であった.そのため,イギリスのコロッサスやドイツのツーゼと言ったコンピュータが当時存在していたことがわかったのは,20世紀の後半であった.
さて,当時コンピュータに使われていた部品は,真空管やリレー,コイルやモータと言った電気部品であった.これらの部品が小型になればコンピュータそのものも小型になるのは当たり前のことである.当時のコンピュータは,部屋一杯に配線や部品を並べたもので,現代のように卓上に置けるほど小型になるとは当時は,誰も考えることが出来なかったのではないかと推測される.
しかし,1947年にウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明する.その発明の新聞記事は,極小さいものだったが,この発明がその後の産業界を大きく変えることとなる.
トランジスタにもいろいろな種類があるが,数年後には安定してトランジスタが供給できるようになり,真空管に代わる小型で安定した素子としてコンピュータに使われるようになった.また,ラジオや電卓にもトランジスタを使ったものが登場することとなる.リレーに比べて音も無く,真空管に比べ発熱もなく,夢のような部品となった.
その後,1958年にジャック・キルビーらによってトランジスタや抵抗,コンデンサをシリコンウェア上に作り込む,いわゆる集積回路が発明された.当時は固体回路と呼んでいた.とにかく,1960年代になり,トランジスタや集積回路が産業界の電気メーカで使われるようになり,小型化され,省電力化され,大量消費のため単価が下がった.
そして,マイコンが発明される.
マイコンの発明にはある日本人が大きく関わっている.その名は,「嶋 正利」である.以下の説明では,嶋 正利さんの偉業に敬意を表し嶋さんと呼ばせていただく.
世界初のマイコン i4004 の登場
嶋さんが大学を卒業して就職した1960年代,日本では電卓戦争と呼ばれる競争が勃発していた.電卓が一台50万円の時代に,その価格をいかに下げるか.真空管やリレーで作られたバカみたいに大きな電卓をいかに小さくするかがこの戦争の勝敗を決める戦争であった.
実は,この電卓戦争の中でマイコンは誕生したのである.
どの企業もまず,真空管からリレーに変更し,小型化を行った.そして,リレーからトランジスタに変更することで,さらに小型化を図った.そして,集積回路を搭載することで,さらなる小型化に成功した.ここまでで,制御部分(内部の回路部分)の小型化には限界が見え始める.後は,表示部分.当時は,ニキシー管と呼ばれるものを使っていたが,それをシャープがいち早く液晶に替え,表示部分の小型化と省電力化に成功する.
さて,ここまでをまとめると,当時の電卓の最高峰にあったものは,表示部分に液晶を搭載し,制御回路は集積回路(IC)を数個使ったものが頂点であった.
しかし,それを上回った電卓を作ったのが,嶋さんと当時設立したてのインテル社のテッド・ホフの発想であった.当時,マイコンというものが存在していない時代にそれを創造した彼らの発想力の勝利である.コンピュータはコンピュータで,高速化を目的に研究開発されており,プログラム可能なコンピュータも数多く存在していた.しかも,4ビットや8ビットのコンピュータのさらに上を目指してコンピュータは発展を続けていた.
ここで,4ビットや8ビットというのは,内部で一度に処理出来るビットの幅を示す.8ビットを12,16,32ビットとビット幅を増やし,高速化を目指してた.その結果,現在のコンピュータのような64ビットで動作するパソコンが登場したのである.
さて,コンピュータの考え方(プログラム内蔵方式)を導入して,小型のコンピュータを創造していた.これは,嶋さんも,テッド・ホフも同じであった.
コンピュータはビット幅を増やし,高速処理を目的に発展していたため,数ビット程度の小型なコンピュータを作ることに先端研究を行なっていたエンジニアは躊躇したのである.つまり,当時の先端的な研究開発としては,数十ビットを相手にしているのに,電卓のようなものを作るために高々数ビットのコンピュータを開発するなんて物好きはいないということであった.
しかし,テッド・ホフは革命的な考えに到達した.これまでに開発されたプログラム内蔵型のコンピュータに対して必要な命令が数多く用意されていた.それらの命令は1命令で複雑な処理が実行できるように工夫されていたが,命令そのものも複雑になり,命令長もまちまちであった.そのため,ハードウェア(回路)が複雑になり,小型化するのは非常に困難であった.
そこで,2人はコンピュータを動作させるように用意された複雑な命令は全て排除して,シンプルな命令を用意することで,簡単なハードウェアで命令を実行できるので,小型なコンピュータを開発できると考えた.マクロな命令(複雑で大きな命令)を使わず,マイクロな命令(シンプルで小さな命令)を用意する.これがマイクロコンピュータの発想の原点なのである.
当初,嶋さんは,電卓用に複雑な命令をいくつも用意していた.しかし,これらの命令を格納するメモリの容量が大きくなり,結果として回路規模が大きくなる.そこで,命令の種類を少なくして,なおかつシンプルな基本的な命令だけにすることで,単純な回路で命令を実行できて,結果として小型なコンピュータを作ることができた.
そして,1970年にインテルは,世界初のマイクロコンピュータ i4004 (4ビット処理)を発表した.動作周波数は500kHzであった.翌年の1971年に日本の嶋さんの手元に届き,電卓戦争に終止符が打たれることとなった.この i4004 を搭載した小型でポケットに入るサイズの電卓が1万円を切る金額で登場した.
その後マイコンは,各社で複製され,4ビットは,すぐに8ビットに拡張され,16ビット,32ビットとマイコンの処理能力は向上していった.
現在のマイコンは,32ビットは当たり前で,内部のCPUが2つであったり,4つであったり,動作周波数が数ギガヘルツになったりと,マイコンの処理能力は爆発的に向上している.
より詳しく勉強したい方は下記の文献を参照のこと.
- マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004,嶋 正利 (著)
- 次世代マイクロプロセッサ―マルチメディア革命をもたらす驚異のチップ (NIKKEI INFOTECH),嶋 正利 (著)
- NHKスペシャル 電子立国 日本の自叙伝 DVD- BOX 全6枚セット,三宅民夫 (出演・声の出演) | 形式: DVD
演習問題
- チャールズ・バベッジが開発しようとしたコンピュータの名称として正しいものを1つ選べ.
- 数表マシン
- 階差機関
- 電子式卓上計算機
- アラン・チューリングがコンピュータに必要であると言っているもので誤っているものを1つ選べ.
- 無限に長い記憶テープ
- 状態を記憶するメモリ
- 円盤状の記憶装置
- プロジェクトPXの中心人物として正しい人を1人選べ.
- ムーア
- ノイス
- エッカート
- ジョン・フォン・ノイマンが参加したプロジェクトPYで作製していたコンピュータの名称を1つ選べ.
- UNIVAC
- EDVAC
- ENIAC
- 世界初の電子式コンピュータの名称として正しいものを1つ選べ.
- ABC
- ENIAC
- UNIVAC
- 世界初のマイクロコンピュータの名称として正しいものを1つ選べ.
- i4040
- i4004
- i0040